形而上学な日々

シンプルなことをこむずかしく考えます。

死が無なら死は存在しないはずではないのか。
なぜなら無は存在しないからである。(池田晶子)


死について語るとき、池田氏は必ず上のような論法で死の不可能性、死を恐れることのナンセンスを説く。「死など恐れず、腹をくくって善く生きよ!」これがおそらく池田晶子の人生哲学なのだ。


死を恐れず、生に執着しない自身の心理について、「私にはいのち根性がない」という言い回しで語っていた池田氏であったが、次のような言葉も遺している。


生きながら死の向こうの存在と宇宙について思索できるなんて面白さ、さらに深く、さらに奥へ究めてみるのも悪くない。それで私は長生きするのも悪くないかなと思い始めたのである。つまり長生きすることで私はもっと「考えたい」。


こう語った彼女にとって、46年という生涯は果たして長かったか、短かったか・・・
いずれにせよ、彼女にとって死はないのであるから、きっと今も魂となって哲学し続けているに違いない。