形而上学な日々

シンプルなことをこむずかしく考えます。

なぜ人を殺してはいけないのか?

「なんで人を殺しちゃいけないの?」と無邪気に尋ねてくる子供がときどきいる。


そしてたいていの場合、問われた側の大人は狼狽したり、あたふたしながらその場しのぎの対応でごまかそうとする。


メディアがこの種の議論を扱う場合、100%道徳主義がベースになる。
教育評論家や社会学者が口をそろえて言うのは、「もっと子供たちに命の尊さの教育を!」というスローガンだ。要するにこのような不健全な疑問は、発せられる前に封じなければならないということである。


社会秩序の維持のためにはルールは是が非でも必要である。いかに根拠が薄弱で理路が整然としていなくとも、人と人とが社会契約を結ぶ上で拠り所となる規範は整備しておかなければならない。


人を殺してはいけないという規範が存在する理由が、まさに人を殺してはいけない理由なのである。


では、例えば自分の子供に「なんで人を殺しちゃいけないの?」と問われたらどう応じるか?
私であれば、養老孟司氏がどこかに書いていたように、「ハエ一匹作れない人間が、人間を殺していいはずがないだろう。」ととりあえずは答えておくだろうと思う。