形而上学な日々

シンプルなことをこむずかしく考えます。

世界=わたし

人間は誰も観念の外には出られない。


ならば、宇宙飛行士は宇宙を飛んでいるのではない。


彼は自分を飛んでいるのである。


コイン怪獣 カネゴン

ウルトラQに登場したおちゃめな怪獣カネゴンは、1日に3250円分の硬貨を食べるらしい。40数年前の金額で3250円だから、今の金銭感覚でいえば3万円は軽く超える額を毎日食べていたことになる。



設定では、カネゴンは硬貨がニセモノか本物かを識別できる体のつくりになっているそうで、ってことは、ヤツは金属を食べて栄養にしているわけではなくて、お金という「価値」を食べているということだ。大げさに言えば、人間が作り出した貨幣経済というシステムの申し子のような存在なのである。


その昔ヘーゲルは「価値は鳴り響く硬貨としてある。ここに理性の形式的な原理がある」云々ということを言って、貨幣制度を優れた発明として肯定していた。
ドラマでは、守銭奴のように意地汚いイメージで描かれていたカネゴンは実はヘーゲル的な価値基準でいえば、とても理性的な怪獣であったということになりそうだ。


昨今流行りの仮想通貨などは、そもそも重さも形もないのだから鳴り響きようがないのだが、果たして仮想通貨でカネゴンの腹は満たされるのだろうか?


宇宙

宇宙が自分を考えるために人間の脳を必要としたということだ。生存を超えた精神は必ずや宇宙について考え始めるのだから。それが脳の根本的存在理由ということになる。
(池田晶子)


事の真偽はともかく、この一文には読むものを一瞬たじろがせるだけのインパクトがある。池田晶子は同様に「意識の物質的表現が脳である。」とも語っている。
決して脳科学の主張するように、脳神経細胞のネットワークが意識を生み出しているわけではないのだ。